史実でも始皇帝に大きな影響を与え、キングダムにおいても重要な転換点となるのが韓非子の来訪です。
このエピソードでは、いったいどのような描かれ方をしたのでしょうか。ここでは、キングダムの韓非子来訪編についてまとめていきましょう。
「キングダム」韓非子来訪編の見所と考察
個人的に思う、韓非子来訪編の見所は以下の4つです。
- 感銘を受ける嬴政
- 外交面での信
- 人の本質は「悪」
- 汚い手も辞さない文官たち
それぞれのシーンについて考察と感想をまとめていきましょう。
①感銘を受ける嬴政
今回の話は、嬴政が韓非の書いた書物に感銘を受けるところからはじまります。
これは史実にも載っている重要なエピソードで、始皇帝はここから統治の基礎を組み立てます。
この時の嬴政の姿を見ると、もはや夢見る少年ではなく、国王であることがわかりますね。
また、中華統一の先さえ見据えていることがわかり、いかに嬴政が大物なのかわかりました。
②外交面での信
今まで、信の主な戦場は戦いのみでした。しかし今回は、信が外交の一部を担うことになります。
信は少し居心地が悪そうでしたが、こうして外交の使者として抜擢されたところを見ると、嬴政が成長するように信も別の方向で成長していると感じました。
信は今や家も持つ、一介の男ですからね。背筋を正して外交へ赴く姿は、嬴政とは別の意味で一国一城の主でした。今回は伴われての外交でしたが、いずれは信のみで外交へ行くことを考えると胸が熱くなりますね。
③人の本質は「悪」
韓非本人は、人の本質は悪と断じていました。このあたりの考えは、人の本質は光、つまり性善説を唱えていた嬴政とは真逆ですよね。そのため当然信も反対するのですが、この時に「では人の本質は何か」と聞かれた時の答えが印象的でした。
信は人の本質を火と答えます。火は使い方によって人を温めたり、何かを焼いたりします。要するに、使い方、心の持ちようによって人の本質はいかようにも変化するのです。信が火、という言葉を使ったとき、麃公のことを思い出して胸が奮えましたね。
④汚い手も辞さない文官たち
韓非来訪編は、韓非の死で幕を閉じることになります。その黒幕となるのが李斯、そして姚賈という人物だったことがわかりました。ただ、韓非自身はそれを予知しており、死ぬことは恐れていなかったようです。
李斯と姚賈はそれぞれの思惑を持ち裏で動いていましたが、彼等は秦のためを思って動いていました。中華統一という大業は、彼らのような、一見汚い手を使う人たちがいてこそなしえるものだと納得させられましたね。
「キングダム」韓非子来訪編まとめ
今回はキングダムにおける韓非子来訪編の感想と考察についてまとめました。
史実でも語られているエピソードでしたが、嬴政よりも文官たちの覚悟が目立った章だったと思います。
次の章では、いよいよ韓攻略に乗り出すことになります。
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